■島尾敏雄『死の棘』
購入してから何年が経つだろう。
ずっと積んだままにしていて、数年前に「旅行のときに持っていく本」になった。適度な厚みと物語の内容の重さがあり、「旅行中に読み終えてしまう心配の要らない」本として重宝するようになった。そうしてあちこちに連れ回したおかげで、元から草臥れていたその文庫本は今やへにょへにょになっている。
■読み進めずにはいられない!
そう思うようになったのはこの数ヶ月で、そこからは今までが嘘のようなペースで読み終えた。きっかけは祖母の介護を始めたことだと思う。「介護をする人」になり、その視点を手にいれてから、『死の棘』はわたしにとって「今とても必要な本」になった。
『死の棘』がどういう書物なのかは各々で調べていただくことにする。どんな書籍もそうだけど、読み手によってどんな物語にもなり得ると思う。読み手の状態ひとつで、恋愛小説にも、青春小説にも、推理小説にもなる。本の魅力のひとつが、そういう変幻自在な部分だと思っている。
わたしにとって『死の棘』は介護小説だった。もがき、苦しみ、それでも生きていかなければならない人間たちの物語として読んだ。
介護とは諦めと忍耐の繰り返しだ。時々日が差し込むようなこともあるけれど、基本的にはちょう低気圧で雨が降るんだか降らないんだか、みたいな天気の中をもくもくと歩いていくような気分だ(少なくともわたしにとっては)。日が差し込むこともあれば、雷雨もあるし、日によっては雷が直撃して死にかけることもある。それでもわたしは祖母を捨てることなんて出来ないし、完治することのない病気と折り合いをつけて日々をやり過ごしていく。
■さいご
この物語の最後は、すっきりするものではないと思う。白でも黒でもない。白と黒とがまじったりまじらなかったりとまだらな風に終わる。でも人間の人生ってそんなものじゃないですか? マーブル模様でみんな生きている。電車で乗り合わせた人も、さっき接客したお客様も、喫煙所でわたしの顔に煙を吹きかけたおじさんも、みんなそれぞれマーブル模様で生きているんだろうなと思うと、少しふしぎな気持ちになります。