忍者ブログ

からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた孫の日記

吹けよ風、呼べよ嵐

◾︎
少し前から、母も祖母宅で過ごすことに決まった。祖母自身もうれしそうにしていた。介護生活に母が加入した翌日、祖母宅に帰ると、祖母がベッドで呼吸困難に陥っていた。すぐに救急車を呼ぶ。「大丈夫だから救急車は呼ばなくていい」と言い張る祖母をなだめる。背中をさする。祖母が上目遣いでわたしを見て、へいきだよと言う。ぜんぜん平気ではない声と呼吸だった。わたしは妙に落ち着いていて、慌てている母にあれこれ助言をしたり、救急隊の方の邪魔にならないよう玄関の自転車を避けておいたり、いやに冷静でいた。頭のなかで「こんな風に終わるんだろうか」と声が響く。でもその声は自分のものじゃない。






◾︎
救急車の中で、手の中にある祖母の靴をじっと見ていた。自分の靴よりずいぶんと小さく、左右両方とも、シンメトリーに底がすり減っている。祖母はほとんど意識がない。顔が小さいからか、呼吸器がずれまくっている。搬送された病院では「覚悟をしてください」と言われる。広くて暗いロビーの片隅にすわる。覚悟とは、一体何をどうしたらできるものなのだろう。






◾︎
結果として祖母は一命をとりとめた。けれども数日後に病院から呼び出されて、他の誰も都合がつかなかったのでひとりで先生のいる部屋に向かった。今見つかった病気の治療に少なくとも半年はかかること、その病気自体は治せるものだが、完治して退院できる見込みはほとんどないこと、つまり祖母が家にもどる可能性はほぼないということ。先生たちに励まされて、病院を後にする。祖母に面会することは出来なかった。お守りのようにつけていた木蓮の香水が、雨っぽい風が吹いて少し香った。藤棚の藤はふわふわと揺れている。広い駐車場にはほとんど車もなく、一台だけタクシーがとまっている。何の言葉も浮かんでこなかったけれど、ただ、今日この日に木蓮の香水をつけていたよかったと思った。






◾︎
母は、祖母の娘だ。だからとても気落ちしている。わたしは倦怠感をおぼえるばかりで、「このまま祖母はこの家に帰ってこない」という事実を何度も何度も反芻し続けている。祖母が倒れる数時間前、何年も沈黙を続けていたジャーマンアイリスの花が咲いたと言って笑い合ったことが、現実味を失って色あせていくように感じる。涙も出ない。ただ、「あの生活はもうかえってこない」「介護がもうすぐ終わろうとしている」としか思えずにいる。やっと終わるのかという思いの方が悲しみより強いのかもしれない。でもわたしは決して、祖母がもうすぐ死ぬかもしれないことにほっとしているわけではない。うれしいわけがない。







◾︎
家主がもどらない(可能性が高い)家の庭の手入れをし続けている。亡くなった祖父と、祖母が十数年前に拾ってきた亀二匹も元気で過ごしている。朝、わたしの顔を見るとえさをねだる。二年半前に介護をはじめたときには見向きもせず何も世話をしなかった庭には、今さまざまな花が咲いて、葉が青々と繁っている。誰が不在になったとしても、あらゆることは続いていく。続けざるを得ない。







◾︎
でもやっぱりどうしようもなく悲しくて、この記事を書いている途中で信じられないくらい涙が出てしまいました。今日やっとほかの家族が面会できました。わたしも週末には会いにいく予定です。それまでも、それから先も、庭の手入れをしながら祖母が帰ってくるのを待っていようと思います。







◾︎
今現在祖母の家にはわたしと母が二人で生活をしている。二人なので、色々な話をする。母が昭和のプロレスが好きだということをはじめて知って、色々と教えてもらいました。入場曲があれでこれでと調べたり話したりしているときに、ブッチャーの入場曲がピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」だと知って一気に興味がわいてしまい、母と二人でブッチャーとジャイアント馬場がコンビを組んだ試合を観たりしました。うーん、ブッチャー、すきです。そういうわけで、泣き暮らしているわけでもありません。そこそこな感じで生活し続けています。






拍手くださった方々、ありがとうございます。
PR

コメント

プロフィール

HN:
tebasaki700
性別:
非公開

P R