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からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた孫の日記

肋骨

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少し前に難聴が再発してから、体調の緩やかな下降が続いている。少しずつ空気漏れし続けているような具合の悪さ。耳は聴こえているけれど、時々耳鳴りがひどくなったり、人の言葉を聴きとりにくいことがあります。電話なんかはとくに。接客業に従事しているので割と深刻です。


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それはそれとして、祖母の再手術が決まった。前回の手術から何ひとつよくなっていないと医師に言われた瞬間、目にみえている世界が一段階暗くなったような気がした。前回よりもからだに負担の掛かる手術で、場合によっては肋骨を切除するらしい。目の前に提示された現実を受け止めきれなくて、どこか上の空だった。肋骨の切除と聞いて、アダムとイヴについて考えた。祖母の肋骨からは何も生み出されない。医師は神ではないし、我々は楽園から追放されて久しい。

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久しぶりに祖母との面会がゆるされた。祖母はずいぶん声が小さくなっていて、認知症がかなり進行していた。彼女が何の話をしているのか、ほとんどわからなかった。ひとまわり小さくなったようなからだを一生懸命起こそうとする。お前たちが来てくれたということは、家に帰ることが出来るということだろう、とうれしそうに話す。そうではないと告げたあとの、絶望的なまなざしの色。また手術があるのだとは言えなかった。いつになったら帰れるのか、二日後?(ちがうよ)四日後?(もっとだよ)じゃあ十日か?(・・・・・・)お前が来たということはお迎えが来たということだ、と言って祖母は笑った。お迎えという言葉が指すのはどの意味なのかは聞かないで、わたしも笑った。

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目の前で受け入れがたい現実の前にしずかに佇んでいるひとにかける言葉を、持っていない。深く悲しんでいるひとに対してわたしが出来ることはあまりにも少ない。気落ちしている母の横にいながら、わたし自身も疲れて、悲しんで、どうやって現実を受け入れたらいいのか途方に暮れていた(それはたぶん時間だけが解決してくれる)。もしかしたら年を越せないかもしれないな、と母が呟いた。わたし自身が毎日自殺することを考えているのに、祖母が年内に死んでしまうかもしれないということは悲しく思う。

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処方されたくすりを眠る前に飲む。布団のなかでじっとしていると、しだいに自分の輪郭がゆっくりとほどけて、溶けていくような感覚がやってくる。そのときだけはやさしい気持ちでいられる。生まれてきてよかったとさえ思える。目を閉じて意識を手離すのはとても心地よい。なによりもきもちがいい。数時間後に目を覚ましたら、また死にたいと思う。死にたいと思いながら生きるための作業に手をつける。

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このようなありさまですが、たくさん映画を観たり、本はあまり読めなかったり、お風呂のなかで長い時間ぼーっとしたりしながら、なんとか生きています。仕事中はちゃんと人間やっているので大丈夫です。たくさんの拍手ありがとうございました。
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