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からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた孫の日記

それでも人生はつづく

すべて、とりとめのない話です。

これから「介護」カテゴリーのブログを書くことは(おそらく)ないんだろうなと思うと不思議な気持ちになります。納骨も済んで、祖父の遺影のとなりに祖母の遺影が並びました。ほんとうに死んでしまったんだなあ。同級生たちと馴染めなかった頃、いじめられて死にたかった頃、学校に行けなかった頃、祖父母の家によく逃げてきていた。いま、祖父母の家にはわたしとわたしのねこだけが暮らしている。

ひとりで祖父母の家に住むことにも慣れてきて(そもそも祖母が入院してからひとりでいることが長かったので)、なんとなく、絶不調からは脱したような感じです。まだ小説を本腰入れて読めなかったり、相変わらず毎日体調が悪かったりはするけれど。

少し前まで、祖母が死んでしまって介護が終わったら、もう自分が生きている意味はないと考えていた。すぐに死んでしまいたかった。今も「そんなことはない」と前向きにいられるわけではない。自分のセクシュアリティのことであるとか、仕事のこと、先のことを考えるとなんともいえない気持ちにしかならない。生きていることはとてもつらい。生まれたことを呪う気持ちはなくならない。

誕生日に働いていたら、いろんな人がいろんなものをくれた。小さくてかわいいものたちを。たくさんの人が「誕生日おめでとう」という言葉を掛けてくれた。生まれた日にシオランの『生誕の災厄』を買おうと考えていたけれど、新装版が5月の下旬に出るらしいと知って延期にした。そういうふうに、「今すぐ死にたい」けど、それを"延期"にし続けている。もう少しだけ頑張ろうと思う。そうやってずっと延期し続けられたらいいのかもしれない。

庭にいくつもの花が咲いて、新しい芽が出始めた。そのことを祖母は知らない。祖母が入院してから植えて、芽が出て、祖母が死んでから花が咲いた。わたしは今日も目を覚まして、ねこにえさをやって、自分でもごはんを作って食べて、仕事をして、本を読んで、時々お酒を飲んだりして、ねこと一緒にねむる。人生は続いていく(祖母の人生は終わってしまったというのに)。さみしい。冬眠から覚めた亀二匹にえさをやりながら、ふとそんな風に思う。

全然関係ないのですが、一日ひとつ、短い話を書き続けています。今ようやく百日(百話)過ぎたところです。いくつかは手直ししてnoteに投げようかと思っています。なんだかんだで、毎日何かを書くだけの気力は失っていないようです。



拍手くださった方、ありがとうございました。
お返事はまた後ほど(毎回遅くてごめんなさい)
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