忍者ブログ

からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた孫の日記

きれいになんて泣けない


3月11日、黙祷する人たちの姿が流れているテレビを、待合室で眺めていた。

午前中に祖母が亡くなった。苦しみや痛みを感じずに、静かに息を引き取った。病室の大きな窓からは海が見える。春の海はとてもきれいでやさしい色をしている。少しぼやけたような光もやわらかくて心地よい。自分がどうして泣いているのか考えられないくらい泣いた。

祖母は骨になって帰ってきた。およそ一年振りの帰宅になる。祖母が家を空けている間に新しい植物がいくつも増えた。もうしばらくしたら菜花が咲くだろう。白い祭壇の上にまだ若い頃の祖母の写真と遺骨がある。けれど、今この瞬間も祖母は病院にいる気がしてならない。

三年半というのは長いのか短いのかわからない。そのうちの一年近くは病院にいたから、わたしが祖母と二人で暮らしたのは二年半くらいしかない。色々なことがあった。祖母と孫という関係ではなくなっていたようにも思う(もちろん、時と場合にもよる)。祖母に怒ったことも何度もあるし、祖母に怒られたことも何度もある。二人でどうしようもなく泣いた正月もあった。楽しいことばかりではなかったが、つらいことばかりでもなかった。

様々な人たちから「お疲れさまでした」と声を掛けられるたびに、不思議な気持ちになる。介護が終わったという実感がうすい。少しずつ、徐々に、祖母の不在に慣れて普通になっていくのだろう。亡くなってすぐまだ温度があった祖母、骨になってしまった祖母(それはそれで温度を持った骨を拾った)、遺影としてこちらをみている祖母。こころの中で語りかける祖母はそのどれでもない気がしている。



◾︎
拍手くださった方、ありがとうございます。
これからこのブログをどうするかは何も考えていませんが、なんだかんだでちょろちょろと続けていくような気もしています。

PR

コメント

プロフィール

HN:
tebasaki700
性別:
非公開

P R