わたしは「高み」とか「真理」には到達しえない存在であるということを自覚している。不老不死になって永遠に勉強をしたり読書をし続けたいのでそのために勉強(今は主に道教)をしているけれど、実際に不老不死になることはないだろう。わたしの人生はちっぽけで、無価値だ。だけど、それは思考や勉強や読書をやめる理由にはならない。ちっぽけで無価値な人生を耕し続けることは、この世界でただひとりわたし自身にのみ価値がある行為なのだから。
わたしは自分の仕事をとても気に入っている。人間が積み上げてきた知性を誰かに手渡す仕事だと思っているので。わたし自身が何もなせなくても一向に構わない。わたしは誰かにそれを手渡すためにここにいる。誠実に仕事をしなければ、といつも思う。いつか必要とされなくなって馘首されるか、あるいはこの場所がなくなるまでは。
自分が得た知識を、自分の足で確かめに行く。それはとても豊かな行為だと思う。あんなに恐ろしかった星空を、いま、自ら望んで眺めている。冬の厚い雲の切れ間から見える、いっとう輝いて見える星。その星の名前を知る。次は、その星を目印に星座を見つける。真ん中にある三ツ星が、自分の街に大きく関わる神さまだとする説を読んだ。だから自分の目でその星を見てみたくなった。知ることで恐怖は薄れる。それどころか美しく見えるようになる。生きていてよかったなと思う。山の上から海を見たときに、水平線が丸くなっているのを見たときも同じように思った。
星を拾う。そして、それを誰かに手渡す。わたしの名前はどこにも残らず、わたしの仕事は次の瞬間には誰の記憶からも消えてしまうだろう。宇宙についての本を読んで「この世界は美しく調和している」という文章を目にしたとき、わたしはもうそれだけで満ち足りたような気がした。