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からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた人の日記

五分後にあなたが忘れるとしても

■同じ話
何度も同じ話をする相手に対して「適当な相槌」を打ち続けるのは、実はとても大変なことだ。適当というのはどーでもいいやーということではなく、適切な、に近い意味合いでの言葉です。

ついつい「それ前も聞いたよ」「それは違うよ」と言いたくなる。言いたくなる気持ちをぐっと抑えて、「そうなんだね」と言う。それだけのことがとてつもなくつらく感じるのは、疲れているからなのだろうか。



それでも今はうまくやれている方だと思う。昨日今日と一緒にいた母が「自分はまだスルーができない」「怒鳴りそうになる」とこぼしていたのを聞いて、わたしも最初はそうだったと思い出した。怒りという感情をゆるやかに諦めていった。



わたしの世界では「もう何度でも聞いた話」だけれど、祖母の世界ではいつでもそれは新しい話だ。何かを失くしたときも「なんであれほど言ったのに忘れるの」「なんでなくしちゃうの」と思うけれど、彼女の世界の論理には噛み合わない。そういう言葉は容易く彼女の心に傷をつけてしまう。わたしは、祖母を傷つけたいわけではない。



■いつまで
こういう日々が続くのかなと考えるとき、「終わりの日」はつまり祖母の死を意味している。こわくなる。祖母のことが好きな気持ちと、祖母と一緒にいることを苦痛に感じている気持ちとが、マーブル状に入り乱れている。誰もかれもがつらいのだ。何より、本人が一番つらいはずで、そのことを思い出して、いつも少し冷静になる。



■怒り
怒りよりも遣る瀬無さの方がずっと強い。潮のように増えたり減ったり、でも、なくなるってことはない。



明日あなたが忘れるとしても、五分後にはもう忘れちゃったとしても、全然覚えてもらえなくても、伝えたいこと、話したいことがあるから伝えるとして。でも、そんなことを毎日繰り返していると、どうしようもなく泣きたくなる日もある。というか、そんな夜ばかりを過ごしている。
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