■
祖母と暮らし始めたのは去年の年末からなので、もうすぐ介護を始めてから一年になる。今でも祖母はよその人には「孫は遊びに来ている」と言うけれど、そのたびにもやもやしてしまう自分がいる。わかってはいるのだけれど。
■
祖母が嘘をついているとき、なにかを誤魔化しているとき、それを指摘しないようにしている。でもそれは結構しんどいことだ。我慢し続けるのはなかなかつらい。
祖母がじゃがいも30個を野菜室から冷凍室に移してしまったことがある。祖母は野菜室と冷凍室の違いがわからなくなっていて、しばしば、冷凍食品を常温に戻してしまってだめにしてしまう。じゃがいもは親戚の畑でとれたもので、どう料理しようかたのしみにしていたものだった。
気がついたとき、祖母はデイケアに出掛けていた。家にはわたしひとりだった。だからわたしはひとりで、怒った。意味のない罵倒を吐いた。新しいごみ袋を出してきて、半分凍りかけているじゃがいもを全部その中に突っ込んだ。
買い物から帰ってきて重い荷物をおろし、ふとごみ袋を見るとじゃがいもが溶けて水びたしになっていた。これは、わたしのせいだ。なんだか情けなくて、30個のじゃがいもをごみ袋から出して、流しに放ってしまった。
少し落ち着いた頃に、30個のじゃがいもを全部きれいに洗って、ひとつずつ皮を剥いた。細かく切って、レンジで温める。一度にはできないから何度かに分けて温めて、温めた端からマッシャーで潰していった。30個ともなると手が痛くなる。マッシュしたじゃがいもに塩胡椒を振って、バターを入れて混ぜる。それを小分けにして冷凍し直した。冷凍するときにはもちろん、ふせんを貼って。
料理のいいところは、手を動かすことでこころが落ち着いていくところだと思う。衝動のままに捨ててしまわなくて本当によかった。後日、じゃがいもペーストはフライドポテト風にしてお弁当に入れた。祖母のお弁当にも入れた。
■
これは少し前の話で、ここからは最近の話。いつのまにかふせんが外れていて、冷凍室のじゃがいもペーストは常温に戻されていて、今度こそだめになっていた。自分の中で刺々した気持ちが湧き上がるのがわかった。深呼吸をして、明るい口調で祖母に言う。これは冷凍しておかなきゃだめなんだよ、常温にしちゃった分はもうだめだから捨てたけど、今度から気をつけてね。
こういう風に伝えることがいいことなのか悪いことなのかはわからない。でもわたしはもう我慢できなかった。祖母に悪気がないことはわかっているけれど、自分の我慢にも限界があったので、伝えた。祖母はがっかりしていたけれど、「でも、次からはわかるようにしておくね、ごめんね」というわたしの言葉に、「こちらこそごめん、せっかく作ってくれたのに」と言っていた。気を取り直してお茶にしよう、と祖母を急かして、台所を後にした。もう、祖母はこの出来事も覚えていない。冷凍室の扉には紙を貼った。「冷凍室 ここに入っているものは移さないこと!」。
■
貼り紙には何の効果もないかもしれない。ふせんだって。だめだったらまた別の方法を試す。今まで大丈夫だったことが、明日にはだめになるかもしれない。そうしたら、明日からまた新しい方法を探して見つけていくしかない。我慢と模索の日々。正解はないし、祖母との「約束」はいつだって守られることなく消えていってしまう。
この日々に何かを見出そうとしているのか、と問われれば、「わからない」としか答えようがない。でも、自分が何を感じてこの日々を過ごしているのかは記録しておきたくて、ここに書き続けている。
■
拍手下さった方々、ありがとうございます。後日改めてお返事させてください。いつもありがとうございます。