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からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた人の日記

庭に心を埋めたい日


祖母の中で、わたしは「たまに遊びにきている孫」でしかないので、去年の暮れからわたしがここで「暮らしている」という風には思っていない。だから仕事から帰ってくるとわたしの荷物がそっくり片付けられているということはざらだ。


大抵は押入れに仕舞われているけれど、ときどきどこを探しても見つからなくなってしまうものもある。そういうものを血眼になって探すのはもうやめた。大切なものほどなくなってしまう。そこに出しておいた自分が悪いのだと思おうとする。でもうまくできない。





祖母の家にはわたしの二匹の猫たちも連れてきている。猫については「うちの猫」で、「私(祖母)が世話をしている」というのが祖母の認識だ。飼い主が一番だろうけれど、飼い主よりも好かれて困る、という話を祖母がするたびに、心の中がどす黒くなってしまう。ぜんぜん大人になりきれない自分が恥ずかしいけれど。



そういうスタンスなので、祖母は猫の世話を積極的にしたがる。でも、出来ることは少ない。大抵はわたしが帰宅をしてから後始末をすることになる。ああ、こんな悪口みたいなことが言いたいわけじゃないのにな。



猫砂をまとめてごみ袋に入れて口をしばって置いたものを祖母が取り出していた。庭に猫砂を埋めるのだという。それは純粋な砂ではないから埋めても土にかえらないよと言っても「でもこれは砂だろうから土に還る」と言ってきかない。わたしもつい強い口調で「ごみに捨てるから、取り出さないで」と言ってしまった。祖母は「すみませんでしたね!」と怒ってしまった。自分に大人げがなさすぎるのは百も承知だ。でも、いつでも菩薩のようににこやかに「うんうんそうだね」と言うことはできない。仕事でくたびれはてているところになんでそういう余計なことするの! と思ってしまう。





帰る前には「これから帰るよ」の電話をする。今日も、した。祖母の声は怒りが含まれていて、低くとぐろをまくようだった。かえりたくないなあ、と思う。どんどん祖母を嫌いになっていく。嫌いになりたくないのに。



でも、祖母はいつもこういう調子というわけではない。調子のいいときは昔からよく知る祖母そのままなのだ。お互いに気持ちよく過ごせるし、一緒に楽しく料理をする日だってある。嫌いになったり思い直したり忙しく行ったり来たりする心を持て余している。介護の時だけは「心なんかなければいいのに」って思う。ばかみたいだって笑われるかもしれないけれど、本気で思っている。
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