■
風邪をひいた。
それもなかなかの重い風邪で、熱を出して仕事を早退し、翌日も欠勤してしまった。祖母も同じ風邪を引いたようだけれど、ぜんぜん重くならなかった(本当によかった)。長生きしているぶんだけ抗体もあるのだと言う母の話を訝しく思ったけれど、そういうこともあるのかもしれない。
■
風邪を引いても介護に休みはない。祖母は「わたしが風邪を引いている」ということも時々忘れてしまう。仕事に行かなくていいのかと何度も言われると、普段ならさらっと流せるのに、熱でぼんやりした頭はすぐにいらいらしてしまう。「熱があるんだよ」と言うと、本気で心配する。医者には行ったのか(行ったよ、薬ももらった)。仕事はいいのか(お休みをもらったよ)。ねえ、この会話、今日で5回目なんだよ(そんなことは言わない)。
■
「おまえ、ここに来てから肉なんて食べてないだろう、今日の晩は肉にしよう、今から買いに行く!」と息巻く祖母をなだめる。こんなに暑いのに外に出たら熱中症になってしまうよ。わたしはそんなのは平気なんだと言う祖母に、じゃあもう少し日が落ちたら二人で買い物に行こう、と言う。祖母もそれで納得してくれる。夕方になると熱が上がるので出来れば外になんか出たくないけれど、まあ、お肉は食べたい。二人で出掛けて、買い物をして、帰りにジュースを飲みながら歩いて、帰宅してから二人で料理をした。
■
祖母は料理が上手だった。今ではほとんど自分で料理をしない。ひとりのときはお茶碗によそったごはんにふりかけをかけただけのものしか食べないことが多い。二人で台所に立つとき、指示を出すのはわたしだ。そのことを悲しいとか寂しいとかは思わない。二人でなら料理をしよう、したいと思ってくれることがうれしい。
■
ものすごくまずい枝豆をバター醤油で炒めてみたり、祖母がゆで枝豆に砂糖をかけてめちゃくちゃ甘くしてしまったり。そういうことでわあわあ騒いでいるとき、「祖母に腹が立つ」自分が信じられなくなる。なんでこの人に対してあんなに刺々しい感情を抱いたりしたんだろう。でも、祖母に対して苛立っているときは、そんなこと思い出しもしない。感情が行ったり来たり、揺れたり静まったりするたびに疲れていく。どこにも行けなくなっていく気がする。でもそれはきっとただの気のせいだ。
■
お前、風邪でつらいだろう、味噌おにぎりでも食べるか? と言われて、うんとだけ言った。祖母の作る味噌おにぎりは昔から同じ、俵形で表面に味噌を塗ったシンプルなものだ。出てきたおにぎりはいびつな形をしていた。祖母の右手は病気でうまく動かせない。一口食べたおにぎりは昔と何も変わらない味だった。この人のことを嫌いになる瞬間がとてもこわいと思う。でも一日のうちに何度もその瞬間は訪れてしまう。
1. 歯車についておもうこと
いいえ、単に僕の力不足でしょう。
それでも、少しでもあなたの気紛れになりたくて、こうして綴ります。
あなたのクロスバイクのことを想像してください。ちなみに、僕も以前はクロスバイクを持っていました。ジャイアントのエスケープ。色は青で、軽くて速かった。
あなたはそのクロスバイクにはどれくらい乗っていますか? 今度乗る際に、彼(あるいは彼女)の足許を見てやってください。そこにはギヤがありますよね。
僕がジャイアント・エスケープに乗っていた期間は、おおよそ6年ほどです。僕はライダー失格なので、この期間ほとんどノーメンテナンスで彼を扱ってきた。
すると、新品の頃の工芸品のようなギヤ、つまり歯車達は、摩擦によって痩せていくのです。
乗っていると、時々気付くことがあります。変速したときのギヤの入りの悪さ、あるいはチェーンとの間での滑り、踏み込んだ時のダイレクトな力の伝わり方の衰えなど。
時々、そういう彼の“融通の利かなさ”に苛立つことがあります。が、チェーンが切れない限り、走るぶんには問題なく走ったのです。
もっとつまらない表現に頼ると、僕は時計の歯車を思い出すのです。その時計はとても大きい。途方もない、人が一人紛れても問題がないくらいに。
その巨大な空間では、大小無数の歯車達が噛み合って連動している。自分の身長を越える直径の歯車がゆっくりと、しかし止まることなく回っている。その巨大歯車に寄り添うように、拳ほどの“かわいらしい”歯車も回っている。でも次の瞬間、そいつはコロッと落ちてしまったのです。
巨大歯車はそれにより、多少変な挙動をしたり異音を発てたりはしますが、やはりゆっくりと動き続けるのです。
最近僕を悲しませていることは、こうした小さな、実際には問題のないことを数多く目にしてしまうことです。でもその小さなことは、僕しか見ることができないのです。
全体として問題のない時を生きていると、こうした小さな事件が僕を孤独にさせます。寄る辺のない孤独。断崖を登り続けていたある瞬間に、下を見てしまうような恐怖。そうした悲しみは、大きな事件よりも小さな事件達の方が鋭く気付かせるのです。
でも、当たり前ですが僕(や、あなた)は自転車のギヤでもなければ時計の歯車でもない。
ギヤが痩せたなら、油を指してやればいい。小さな歯車が取れたなら、適当な代わりを付けてやればいい。それでも、全体で見たときには問題なんてないはずだから。
そういう風な時間を作ることが、大切なんだと思います。限られた時間の中で作るから、そのコトはきっと愉快で輝いて、あなたを救ってくれるはずです。
あなたは想像力のある人です。きっと、すでに無意識の中ででもそうした瞬間を創っているはずです。
苦しいこと、目を心を濁らせることは多々あるでしょう。ただきっと、あなたの周りには素敵なものたちが変わらずに寄り添っていることと思います。
長くなって、すみません。