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からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた人の日記

昔のはなし


頑張って書いていた記事がまるっと消えたので大の字になって天井を見つめ続けていた。







気を取り直して別のことを書こうと思う。

親知らずを抜くことになり、有給をとった。結果から書くと無事に親知らずは抜けたし、口の中はずっと血の味がする。明日からは普通に仕事だ。二日間の有給、一日目は疲れすぎてずっと寝ていた。二日目の今日は痛み止めを飲んで昼まで寝ていたけれど、昼過ぎからは買い出しやお弁当のおかずの作り置きの作成に勤しんだ。








中学一年生の夏、わたしは中学校に行けなくなった。そのときのことを唐突に思い出した。鶏と大根の煮物を作っているときに。行けなくなったことに具体的な理由はなかったけれど、いじめのようなものは受けていた。いじめというか、仲間はずれというか。わたしはほぼ「いない人間」として扱われていた。授業中にわたしが先生から指名を受けると教室中が静まり返って、わたしの言葉を待っていた。わたしが間違えること、変なことを言うことをみんなが待っていた。間違っていなくても、わたしの言ったことを面白おかしく真似をしてクスクス笑いをされた。少しずつ、わたしは教室に入ることが困難になっていった。朝、登校してきて教室のドアを開ける。それまで教室のなかを埋め尽くしていた「お喋り」が一斉にやむ。そしてみんなの目がわたしを見つめる。きたよあいつ、という視線。背筋が寒くなる。手が冷えるのに、変な汗がふきだす。








そんなことがあって学校に行けなくなったわたしは、パニック障害と診断された。電車にもバスにもこわくて乗れなくなった。そんなとき、電車やバスに乗る訓練も兼ねて祖父母の家に行くことを家族から勧められた。祖父母の家にはバスと電車を乗り継ぐ必要がある。具合が悪くなったら家に帰ってもいい。最初のうちはバス停にすら辿り着けなかった。人がたくさんいる場所がこわくてたまらなかった。みんなが自分を見て、自分の挙動のおかしなところを笑っている気がした。少しずつ、バスも電車も平気になっていった。電車の窓から大きな川や海を眺めることを楽しいと思うようになった。










みんなが学校で勉強している間、わたしは祖父母の家で勉強をしていた。時々、ドライブが好きな祖父が色々なところに連れ出してくれた。祖父母はなぜ学校に行かないのか、行けないのか、そんな話は少しもしなかった。夕方には家に送ってくれた。少しずつ回復して、学校にはもどれなかったけれど、フリースクールのようなところには通えるようになった。そこで友達もできた。そのときのことを思い出すといつも涙が出てくる。今もこれを書きながら、情けないけど泣いている。でもどういう種類の涙なのかはいつもわからない。悲しいわけでもない。あの頃はつらかったなあとは思うけど、泣くほどでもない。なんで泣いてしまうんだろう。










わたしがたくさん作ったおかずを見て、祖母は感心していた。いつもおまえには世話ばかりかける、と申し訳なさそうに言う。祖母はたぶんもう覚えていないけれど、むかしのわたしはもっと世話になった。お互い様じゃないか。でも、それは言わなかった。わたしは好きで料理してるだけだよ。自分のお弁当のついでだから別に大変じゃないよ。そんな風に言ってしまう。祖母は困ったように笑う。









祖父はずいぶん前に亡くなった。祖母は少しずつ、でも確実に、認知症が進んでいる。わたしも同じように、確実に、歳を重ねている。いろんな物事は少しずつ変わっていく。「ずっと同じもの」なんてたぶんどこにもない。むかし、祖母はわたしにごはんを作ってくれた。りんごの皮の剥き方も祖母から教わった。いま、わたしは祖母のお弁当や食事を作っている。りんごの皮だって剥く。それは悲しいことでも寂しいことでもない。








拍手下さった方、ありがとうございました
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