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からあげはあたため直さなくていいよ(ふにゃふにゃになるから)

アルツハイマー型認知症の祖母の介護を終えて、一人暮らしをはじめた人の日記

無題


認知症が治ることはない。悪くなっていく一方だ。わかっている。でも、ほんとうに「わかって」いるのだろうか?





わたしと家族の認識は「祖母は調子が悪いときもあるし完全に一人暮らしをするのはちょっと無理だけれどほとんど自分一人で色々できる」というものだった。でも今は違う。この数日でなんとなくそう思うようになった。





昨日はケアマネさんが来るので、炬燵を撤去するのだと祖母が張り切っていた。朝一番にこたつは撤去された。帰宅して「もうこたつは出さないの?」と訊くと「毎年ケアマネが来る頃にはこたつをしまっていた」という答えが返ってきた。ケアマネさんが来るようになったのは今年になってからだ。こたつを出したのはここ最近の話で、冬にはこたつが欠かせない地域なので、「でもこれから寒くなるよ」と言うと「毎年そうしている! 暖房があるからこたつは要らない」と強く言われて、思わず「毎年そうしてるなら今年もそうしたら」と言ってしまった。わたしは喧嘩してまでこたつに入りたくないし(でもわたしはこたつが大好きだ、こたつに入ってうとうとしながら本を読むのはたいへんなしあわせだ)、そもそも仕事でとてつもなく疲れているので、なにかを訂正するのも、話し合うのも、もう嫌だった。






猫のトイレをあちこちに移動させてしまうのも、「わたし」という「変化に気がついてしまう人間」がいなければ、祖母にとってはどうということもない事象なのだ。祖母の世界ではそもそも「猫のトイレが移動した」なんてことは起きていないことと同じ。なのにわたしが「猫のトイレ、どこにやったの?」という言葉を発するから、祖母の機嫌が悪くなってしまう。そう考えると諸悪の根源はわたしなのだけれど、それは考えすぎなんじゃないか? とも少し思う。なんにせよ、今のわたしにはもう何か言葉を発することさえ疎ましい。はっきり言ってしまうと、祖母と会話をするのも面倒なくらいに疲れている。






来月は出張とライブでそれぞれ東京に行くので家を空けなければならない。その間の色々は、「まあ数日なら大丈夫だよね」という認識でいた。家族も同じだ。そんなに四六時中気をつけなければならないほど祖母は悪くないもの。そう思っていた。でも、たぶんもうそんな時期はとうに過ぎてしまった。祖母の発言は支離滅裂になってきて、そのひとつひとつを現実と照らし合わせて軌道修正をするなんて困難にもほどがある。





一人ではどうにも出来ないことなので、母に相談した。母もわたしも、仕事の都合を色々と変える必要がある。それにわたしと母だけで頑張っていくのはもう無理だ。






誰も悪くないのに、誰もが疲れ果てていく。祖母の言葉は「病気がそう言わせているのだ」と思えば飲み込めるものも多い。けれど、全部が全部飲み込めるわけでも、許せるわけでもない。なにひとつ「これが正解」ということがない毎日のなかで、「きっと祖母が亡くなったとき、自分はほっとしてしまうだろう」と思う瞬間がいくつもいくつもあって、その度に自分を責める。この日々が生み出すのは一体なんだというのだろう。
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