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祖母の介護をしているという話をしたときに、「おばあさんから料理を教えてもらったりできていいね」と言われたことがある。祖母は料理が上手で、わたしは彼女の作る料理が大好きだった。今、祖母はほとんど料理をしない。同居を始める前までは、「面倒だからしない」という祖母の言葉をそのまま鵜呑みにしていた。一緒に暮らしはじめて、やっとわかった。「料理をすることが困難」なのだ。
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料理をする、と一言で言っても、実際はものすごくたくさんの工程がある。まず、何を作るか考える。作るものを決めたら、家にある材料と、買い足す材料を確認する。実際にお店に行って買い物をする。ブロッコリーを茹でる、ということひとつ考えてみても、お湯を沸かすあいだにブロッコリーを洗い、切って、沸いたお湯で茹でて、ざるにあけて粗熱をとる、といくつもの「やるべきこと」がある。
わたしたちにとってそれは容易いことかもしれない。けれど、認知症の祖母にとっては、まず「何を作るかを決める」のも困難なのだ。そして、「家に何があるのか」「何を買い足してくるのか」の判断も、「実際に買い物に行く」という行動も、億劫で、手間で、「そんなことをするなら食べなくてもいい」と祖母に言わせてしまう。
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わたしと暮らしはじめてから、祖母はよくものを食べるようになった。時には「お弁当用だから食べないでね」と書いたり、言っておいたものまで食べ尽くしてしまうほどには。祖母の体重ときたら驚くべき軽さで、本当に骨と皮しかないんじゃないかと思うようなものだった。でもここ最近は少し、ほんの少しだけ、ふっくらしてきた。
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「明日は何を食べたい?」と祖母に訊く。祖母は「なんでもいい」としか言わない。「じゃあ牛肉のしぐれ煮を作ろうかな」とわたしが言うと、「いいねえ」と祖母は喜ぶ。でも、明日には忘れている。それを悲しんだり、嘆いたりするだけの余裕も、今はない。でもきっと、悲しんだら嘆いたりするだけのものでもないように思う。わたしはどこかで、「忘れてしまう祖母」に救われている。